英仏海峡トンネル経由でロンドンと欧州本土を結ぶ高速鉄道接続が2007年に専用路線で開通し、日本で新幹線が開業してから54年になるが、今になってようやく国内の高速鉄道網が実現すると聞くと意外に思うかもしれない。鉄道が誕生し、長きにわたって鉄道開発の最前線にいた国で、どうしてこれほど時間がかかったのだろうか。

この疑問の答えを見出すには、簡単にではあるが、英国の鉄道史を振り返ってみる必要がある。1830年にリバプール~マンチェスター間に世界初の都市間鉄道が開業してから、鉄道網(システムとは異なる)が急速に拡大し、その後20年以内に、すべての重要都市だけでなく、全国津々浦々の集落や村落に旅客と貨物を届けることが可能になった。鉄道は民間資金で建設され、多数の民間企業によって運営されていた。システムは一貫性を欠き、不要な路線の重複が多かった。当然の成り行きとして会社合併が起こり、1846年には70社で鉄道路線距離の66%を占めていたが、1872年には16社で85%となり、英国鉄道のエドワード朝全盛期と言われる1907年にはわずか13社で路線の88%を占めるに至った。しかし今では、鉄道の多くの区間の収益性は疑問視され、国有化が真剣に議論されている。第一次世界大戦中、鉄道は政府が直営し、大いに利用されて重要な戦略上の役割を果たしたが、戦争末期まで比較的不十分な状態に放置され、その結果、1921年の大合併と呼ばれる企業合併が進み、垂直統合された4社の大手企業が規定された地理的領域を受け持つことになった。

1930年代の世界大恐慌の混乱を経て第二次世界大戦が起こった。戦中も歴史が繰り返され、鉄道はきわめて不十分な状態に放置された。英国自体も財政状態が悪化したが、変化と共同行動を求める機運を反映して、改革派の労働党内閣が1948年から鉄道を含む多くの主要産業を国営化した。これにより財政面の相反する国家的優先課題のせいで修復と近代化が遅れた。たとえば、蒸気機関は1968年に全面廃止されたが、1960年までBritish Railways向けに製造されていたため、電化はさらに遅れた。ロンドン南部の鉄道の大部分は、60年代にウェスト・コースト本線の一部が25kV AC電化されるずっと前に、50年前に設置されていた旧式の第三レール低電圧DCシステムで電化された。

そんな中でも鉄道旅客と貨物運送の利用は、1950年代後期から1960年代前期にかけて回復した。しかし一方で自動車の所有が拡大し、自動車が進歩と憧れの代名詞となったことで、鉄道は過去の技術と見なされ利用率が低下し、あまり利用されていない多くの路線が廃止される流れとなった。結果、エドワード朝全盛期に32,000kmあった路線距離が1955年には24,000km、1970年にはわずか15,000kmとなった。他の形態の公共輸送機関の利用も減少し、しばらくの間、自動車が絶大な地位を維持した。しかし、1960年代になると、この減少傾向を逆戻りさせようという取り組みが盛んに行われた。ダービーに鉄道技術センターが設立され、熟練の人材が雇用され、短期間のうちにその仕事ぶりから高い国際的評価を受けるようになった。自動車保有の普及に伴ういくつかの短所(渋滞、不確実な移動時間、駐車場の問題)が汚染や環境問題より先に明らかになり、マンチェスター、リバプール、バーミンガムからロンドンに至る路線の電化と高速化によって利用率が増加した。

1969年、既存の軌道を走行する高性能の先進旅客列車(APT)を開発し、移動時間を改善することが決定された。振り返ってみると、高速道路の建設により主要道路が改善された一方で鉄道に関しては車両に重点を置くことは、賢明とは言えないものの、既存の軌道を改善し補強するよりもずっと安上がりであった。開発中、数多くの技術革新がAPTの設計に組み込まれた。ばね下質量を減らすために流体動力ブレーキを使用する必要が生じ、その結果として、既存の線路信号システムの間隔に合った速度での制動が可能となった。既存の列車より40%速くカーブを曲がるために傾斜が必要となる一方で、最高速度を50%増加させるために、連接を含む軽量化と高出力が求められた。プロジェクト試作車は1979年に最高速度261kphを達成し、グラスゴー~ロンドン(401km)の営業運転での移動時間は1981年に4時間15分となった。ところが、技術的問題や慢性的資金不足により、プロジェクトは1980年代前期に中止された。そんな中、APTによる技術的知見の多くを流用しつつ、ディーゼル駆動のインターシティー125が誕生した。よりシンプルな設計でありながら丈夫で信頼性が高いこの列車は、1976年に導入されて以降ずっと幹線急行サービスを支え、今でも現役で運行されている。誕生から41年を経た今も、多くとはいかないまでもいくつかのサービスに利用される見通しである。この200kphの列車は、当初は「The Age of the Train(列車の時代)」というスローガンで売り込まれ、その速度と快適性で高い評価を受けており、英国製の列車の中で最も成功したものと言って差し支えなく、238kphというディーゼル車の世界記録を現在も保持している。

1990年代中期、大蔵省が支払う拠出金を軽減することを主な目的として、鉄道が民営化された。これにより、ネットワーク・レールが所有し、管理するインフラでサービス運行し、リース会社が車両を所有するという複雑で断片的なシステムが出現した。それでも旅客距離は2倍に増加し、当初こそ困難を伴ったが、安全性はきわめて良好であった。過去11年間、列車事故で死亡者は出ず、鉄道史上で最長の期間となった。そしてこれは、旅客数と鉄道乗車回数が著しく(1996年以降2倍ほどに)増加し、列車運行本数が30%近く増加した時期に記録された。このような結果から、各報道のトップ記事では民営化は成功したものと見なされた。同期間の運賃の値上げを考えると、この事実はさらに顕著である。しかし利用率が上昇したことで、システムのボトルネックで渋滞が発生し、主要駅が混雑し、列車の運休と遅延というお粗末な記録が生じることになった。日本の読者は、普通列車で5分、長距離列車で10分の遅れは定刻どおりと見なす寛大な定義であっても、昨年中に8本の列車のうち1本近くが遅延として記録されること、またこのように利用者数の大幅な増加があっても、鉄道のシェアは輸送モード全体の9%にとどまる(日本での20%台後半を大きく下回る)ことを知って驚くかもしれない。

このような状況から、政府に対し、高速鉄道網を建設することで従来の地方交通および貨物輸送網の能力が向上し、経路が緩和されると共に、国の南半分の慢性的なバランスの悪さが軽減されるという説得が行われた。数年間の集中的な議論を経て、議会の承認が下り、高速鉄道が具体化しつつある。

当初、1838年に開通した都市間路線を踏襲し、ロンドン~バーミンガム間の路線が計画された。後にイングランド北部の中心都市への延伸が提案され、国土を東西に横断し、リバプール、マンチェスター、リーズ、ヨークを結ぶ路線が盛んに推進されている。地図から、これに含まれる距離は100~200kmの範囲と比較的短いことが見て取れ、そのために超高速の運行速度へのプレッシャーが軽減され、輸送能力に対する要求が強まる。

長きにわたって英国に高速鉄道を求める声が上がっていたため、著者としても、そのような長期の構想期間を経て、そのような鉄道網を建設しようという動きがとられていることを嬉しく思う。しかしながら、いくつかの不都合な事実のせいで、私の熱意は冷めている。まず、公衆の心をつかむ現実的な取り組みがなされていない。財政が制約され、健康、教育、治安、住宅など、相反する多くの事項が要求される時代にあっては、新規の鉄道建設は不要な贅沢と見なされることが多い。新規の鉄道を用いて経済を活性化しようという議論は、他の政策と無関係に行うことはできないが、そのつながりは弱く、あるいは全くないのが現状だ。新規のインフラは必要だが、それだけでは財政を動かす十分な理由とはならない。最終的な鉄道システムの姿は決まっておらず、他の輸送モード、特に空港との連結は最善の構想とは言えない。しかしこれらのことよりも最も懸念すべきなのは、既存の路線配置の延伸として鉄道を運行する計画でしかないことである。

現行の鉄道運行システムを反映して、新規の高速鉄道およびインフラは垂直統合で運行されないことが発表されている。さらに、列車は、既存の路線網に新規に建設された軌道の終端を経由して運行される。これには多くの悪影響がある。第一に、既存の(Classic)鉄道での定時運行の不備は、高速鉄道路線でも初日から受け継がれる。ターミナル駅での折り返し時間が短くなり、多くのプラットホームと列車が必要になる。ロンドン・ユーストン駅では、13本の新規プラットホームを建設する計画である。軌道は駅のスロート部で2本に減少し、ポイントと踏切が複雑になって信頼性が大きく損なわれるおそれがある。世界で最も高い密度で50年間以上運行されている路線である東海道新幹線は、わずか6本のプラットホームを起点とする。この数十年間、JR東海とJR東日本の新幹線に対応するための東京駅の建設および改築中に、駅は1日も閉鎖されていない。ユーストン駅はすでに週末に閉鎖されており、今後はさらにひどくなる。

車両の大半を新規路線専用にすることができないため、Classic路線の低い軌道基準に対処できるほど堅牢でなければならず、一部の列車は、電気方式とディーゼル方式の両方で運行できなければならない。そして、2種類の軌道で異なる耐衝撃基準、制動距離、信号および制御システムなどに対応しなければならない。Classicシステムの軌間に制約があるために車幅が制限され、客車の座席数が制限されるため、旅客1人あたりのエネルギー消費量が増加する。これらすべての要因により複雑になって費用が高くなり、それと同時に信頼性と効率が低下し、世界最高の営業運転になることはない。さらに、二重方式車両の重量と車軸荷重は専用車両より大幅に増加し、必然的に高速鉄道路線の保守費用が大きく跳ね上がる。明らかに、これらの根本的な弱点は、運行およびエンジニアリング経験や良好事例ではなく、善意に基づくが難のある政治判断によってもたらされている。著者としては、EU離脱という英国の決定によって生じる財政逼迫に、HS2を主に手がけてきた大手建設会社Carillionの破綻が加わったことで、資本的支出と運用維持費の両面で安価に済み、もっと効率的で信頼性の高いシステムの戦略的再評価が迅速に行われることを期待したい。

著者略歴

ローデリック・スミスは、インペリアル・カレッジ・ロンドンの先進鉄道工学部の教授である。英国運輸省の主任科学顧問と英国機械学会の会長を務めた。1974年以降、70回以上来 日し、鉄道総合技術研究所(RTRI)および日本の大手鉄道会社と強いつながりを持つ。世 界各国の鉄道およびエネルギー問題の講演に招かれ、鉄道問題のコンサルティングを行う会 社を経営している。

先進旅客列車(APT):高性能列車によりカーブの多い従来軌道を克服しようという試みであったが、資金不足に陥りった。あまりにも複雑すぎた。

高速列車(HST):1976年に導入され、おそらく英国製の最高の列車であり、英国の多くの都市間路線で現在も運行されている(125mph=200kph)。

英国の現在の高速鉄道路線計画。ノーザン・パワーハウス経済都市圏を創出するため、リバプール、マンチェスター、リーズを結ぶクロスカントリー路線が議論されている。

NASAが撮影した欧州の夜間写真を見ると、人口集中地域が明らかである。英国の既存の高速鉄道路線計画は、三角形の区域に含まれる。南ウェールズおよび西ウェールズからロンドンに至る路線として、北東部およびエジンバラ/グラスゴー都市圏との接続が実現する可能性がある。北海沿岸、イタリア北部、ドイツ各地の都市、フランス・パリの人口密度を見て取ることができる。

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